人生100年時代をどう生きるか

 前作「夢にむかって」で、若い頃は「どう生きたらいいか」「この世界や宇宙の構造がどうなっているのか」が分からなかった、と書いた。

 それから40~50年たった現在は、ほとんどそれらの解決がついたとおもっている。
 当時はやにくもに生きるばかりで、懸命ではあるが行き当たりばったりに生きていて、いつも焦燥に駆られ、不安におののいていた。

 40~50年という月日の間にそれなりに経験を積み、苦労し、その過程で分かることもあったということだ。「猿も学習する」というわけである。

 今にして分かることは、若い頃は物事を分析解析整理し理解しようとばかりしていたが故に分からなかったのだ、ということである。

 相方がアロエのネットワークを手掛けている関係で、私も人生哲学を学ぶようになった。というのは、相方が手掛けているネットワークは製品を伝えたり売ったりしてお金を稼ぐというだけではなく、夢を語り合ったり、人はどう生きるべきかを語ったり学ぶ場でもあるのである。

 私は相方に出会いすぐにアロエ製品を愛用するようにはなったが、ネットワークに関わるようになったのはずっと後である。相方はアロエ製品を愛用するようになったのは、身体が弱かったからであるが、ネットワークを手掛けるようになった一つの理由に、アロエのネットワークの成功者の一人である酒井満氏に憧れ、その酒井氏が主催している酒井塾に入会したいということがあったという。酒井塾に入会するには20年前当時、ネットワークの中での肩書を表すLCM以上でなければならなかったのだ。LCMとはネットワークでの収入が年間300万円以上あると与えられる称号なのだが、相方は見事それをクリアし酒井塾へ入会することが出来たのだった。

 酒井氏は若い頃から潜在意識について学んだ人である。43才のとき事業に失敗多額の負債を抱え死を決意する。そんな極限状態で、なんとかして欲しいと神に祈る。同時に、長年恨んでいた父親を許したのである。氏が言うには、この許しが潜在意識を大きく働かせることになった、というのだ。最後の家族旅行にと妻子を連れて大洗海岸にいったのだが、裸足で熱砂の上を歩いたことで足裏に火傷を負った。そのとき、アロエベラのゼリーを塗ったところ、一晩で火傷が治ってしまったのだった。アロエの凄さを目の当たりにしたわけである。それが神の導きだったのか、これだ、と頭の中で強く閃くものがあった。そのことがきっかけとなって、氏はアロエのネットワークと関わることになる。そして、自己の潜在意識を使い、アロエのネットワークで月収1千万円年収1億円を得るという目標をたて、達成してしまうのである。

 相方の勧めで私も酒井氏が主催する「潜在意識セミナー」に何度か出席した。それで、私も潜在意識に興味を持ち、本を何冊か読んだのである。そして、私の場合は中村天風の哲学に惹かれ、傾倒敬愛するに至る。

 まずは相方の本棚にあった「成功の実現」「心に成功の炎を」を数回、いや十回以上は読んだとおもう。次いで「盛大な人生」をAmazonから取り寄せた。これまでの読書とはまるで違って、その内容に圧倒された。言葉がびんびん心に響き、ぐいぐい脳髄に食い込んでくるかんじだった。この三冊は講演を書き起こしたものなのだが、中村天風の三部作といわれる。Amazonには中村天風の講演録や講演を録音したCDなどが何十冊もならんでいる。天風会の会員は100万人以上いるというから、有名な哲学者だったのである。相方の同級生には天風会の会員がいたり、ネットワークの仲間に天風の弟子が開く合気道の道場に連れて行ってもらったりしたというから、相方にとっては天風は身近な存在であったといってもいい。

 しかし、私の身近には天風を知っている人は皆無だったし、哲学や思想の本はかなり読んだが、天風のことを書いた本にも記事にも出会わなかった。要するに、私は天風哲学や、潜在意識とは無関係な範囲で生活していたのである。もし、若い頃天風や潜在意識の本に出会っていたとしたら、人生が大きく変わっていたかもしれないとおもう。しかし、それが私の人生なのであり、遅くはなったが今にして出会えただけでも幸運だといえるだろう。

 天風に出会って3年余り、その著作の八割方は詳しく何度も繰り返して読んだ。結果、不安や悩みは払拭され、生きることに逡巡することはなくなった。

 分析批判するだけでは理解はできない、疑ってばかりでは本質を見誤ってしまう、まずは一旦はそういうものだと飲み込んでみることが理解の早道である、と天風は言う。

 例えば、まず私が若い頃理解しようとしたこの世界はどうなっているのか、であるが、いくら分析理論だてようとしたって私の頭の能力では所詮無理だったのだ。

 宇宙も、この銀河系も、この世界も、創造主が作ったもので、無限である。

 一旦はそう呑み込み理解したことにした。ただ、私の想像力も無限であり、宇宙並み、いやそれ以上に大きいとも言えるのである。

 では、どう生きたらいいのか、であるが、これも天風が言うように、

――人は、人類の進化と向上に資するように生まれてきた

 のであるから、そのように生きていけばいい、というか、そのように生きていくべきなのである。そう心に決めた。すると、これまでの葛藤悩み逡巡は払拭され、肩から力が抜け楽になった。

――欲を捨て、自分の出来る範囲で、世のため、人のために生きよう

 と、今はおもっている。

 具体的には、縁あって、相方と同居して、4haの広大な土地に住むようになって、キャンプ場まで開設したのだから、この土地を愛し、手入れに精を出そう。

 明けても暮れても雑草との戦いの毎日なのだが、きれいにした後の爽快感はかけがえのないものである。自然との交流に癒しを求めて来られる都会のお客さんのためにとおもうと作業は大変なものではなく、楽しく充実感があるものになっている。

 民宿の方は今年に入って食事無しの素泊まりにした。これは私も相方も高齢の域に入ったのだから、食材の準備、料理、片付けなど大変なので、寝具の準備片付け掃除だけの素泊まりにすることにしたということなのだ。それでお客が減ってもやむを得ないと考えたのだが、しかし、予想に反して逆にお客さんが増えたのには驚いた。

 そのわけはすぐに分かった。二、三十代の若いお客さんが多くなったからである。食事つきのときには四、五十代のお客さんだったのだ。

 我が柿農園は辺鄙な場所にあり、周辺に有名な観光スポットがあるわけでもない。食事無しで一泊約5000円で泊まれるのだから格安である。若い人は辺鄙でもスマホを駆使して簡単に来られるし、コンビニなどで食材を手に入れて気軽にしかも格安に泊まれる宿に魅力をかんじるのだろう。

 年代が高い方は有名な観光スポットや食事に惹かれるだろうから、我が柿農園はそういう点では不利なのだ。

 ということで、意図したわけではないのだが、我が柿農園の在り様が若い世代にヒットし、それがこれまでの層よりも多人数になったということなのだとおもう。何が幸いするか分からないものである。

 ところで、農泊ツアーの小中高校の生徒さんは十代、民宿のお客さんとキャンプのお客さんの八割方は二、三十代である。民宿とキャンプ場を開業する前は、私共二人と同年代前後つまり六、七十代のお客さんしか来なかったのだから、我が家を訪れる人はぐぐーっと若返ったことになる。当然のことながら、我が家の雰囲気は一変した。

 若い世代に私共の得た経験や、健康になるためにはどうしたらいいのか、より良く生きるにはどうしたらいいか、などを語りかけることにしているのだが、ほとんどの人が食い入るように聞いてくれるのである。これが高齢世代だと考え方が凝り固まっていて、聞く耳を持たない場合が多いのだ。若い世代は先入観がなく、素直な心で受け入れるからだろう。

 若い世代が増えたのは、天の采配だったのだろう。美しい自然の中の農園の特質を生かして、その若い世代に癒しや農業体験を味わって頂くと同時に、私共の経験や学習しつつある生き方を語って、これからの人生の参考にして貰いたい。

 そうおもうと、遣り甲斐と充実をかんじ、ますますやる気が出てくるのである。

2019年09月23日