願いを叶えるには


 我が家の母屋の居間の壁に、賞状が入った小さな額が掲げられている。「文芸思潮」という雑誌に投稿したエッセイが入選して、送られてきた賞状である。

 私は賞状を飾ったことはない。そんなことは、自分をひらけかせるに等しい行為のようにおもえたからである。ただ、文章関係で入賞したり、新聞や雑誌に載ったりしたことは結構あって、その評などはコピーしてファイルに綴じ、保存してある。三十才になった頃ライフワークと決めて取り組んできた執筆活動が残した足跡を示す記念であり、年に一度ぐらいは取り出して眺めることがある。

 居間に飾ってある賞状は、私が放置してたのを目を留めた相方が拾いあげて、いつの間にか掲げたのである。私はそれを見てびっくりして、やめてよ、といった記憶があるが、結局はそのままになった。それから、もう数年がたっている。

 掲げるほどの価値があるともおもえないが、相方にとっては話の導入として都合のいいものなのだった。そういう意味での利用価値は認めなければならないとおもう。

 エッセイの題名は「おもえばかなう」というもので、

――こうなりたいという念願は、繰り返し心でおもい、そのおもいが深く、強く、なっていけばいくほど叶うものである

 ということを、相方と私が一緒になった経過を通して、彼女の側に立って、私が作品にしたものである。

 昨年の4月から、農家民宿を始め、都会のみならず、東南アジアの小中学生がやってくるようになった。昨年だけで五十余名が来訪した。

 夕食後のひととき、農業体験の休憩時などに、子供たちにいろいろ話すことになるが、相方は、壁に掲げてある賞状を指差し、

――ほら、あそこに、おもえばかなう、ってあるでしょう

と、話を振る。

 そして、目標や、将来の夢を持つことの大切さ、を説くのである。

 目標、将来の夢を持ち、それを実現するのにはどうしたらいいのか、ということを説明するのには、まず、人間の心、意識についての理解が必要である。

 簡単に記述してみると、氷山に例えるなら、海面上に出ている氷の部分が心の顕在意識であり、海面下に隠れている部分が潜在意識である。ご存知のように、海面上の氷よりも海面下の氷の塊の方が圧倒的に大きい。人間の意識も同じように普段意識して生活している顕在意識よりも、普段は全くと言っていいほど意識しない潜在意識の方が比べものにならないぐらいに大きく、また奥深いのである。

 多くの人は、普段顕在意識でおもったり考えたりしているので、この潜在意識を特に意識することなく生活している。直接目にしたり感じたりすることができないものだから、自分の中で大きな役割を担っている潜在意識に関する知識のないまま、一生を終える人もかなりの割合居るとおもわれる。しかし、この潜在意識の理解を正しくしているかいないかで、その人の人生は大きく変わってしまうのである。それはどういうことかというと、潜在意識を正しく制御すれば、健康、運命、人生、全てがよくなるが、制御できなければ、健康を損ね、運命は暗転し、人生は破滅へと転落していくのである。要するに、その人が繁栄に向かうか、破滅への道を辿るかは、その人がどのように自身の潜在意識を取り扱うかにかかっていると言ってもいい。

 潜在意識は、大きく分けて、

一、 健康を保持する
二、 願望、目標を実現する
三、 記憶を蓄える
 
 という三つの役目を担っている。

 潜在意識についての知識や理解のない人は、普段考えたりおもったりしている顕在意識がその三つをやっていると何となくおもっているかもしれないが、大違いなのである。顕在意識には直接的にはそうした力はないのだ。ただ、顕在意識と潜在意識は密接に繋がっていて、例えば健康については、顕在意識が普段積極的に、明るく、楽しく、朗らかに、プラス思考をしながら生活していれば、潜在意識がきれいになり活性化するので、健康が増進するが、逆にその人の顕在意識が、暗く、不安、懊悩、憎しみ、妬み、などを抱いてマイナスの生き方をしていれば、それらマイナスの観念が次第次第に潜在意識に入って行って、潜在意識は汚濁してしまうから、ついには健康を損ね、癌などの病気におかされてしまうのである。

 同じように、願望、目標を実現するのも、潜在意識の方なのだが、このことは、後で述べたい。

 三つ目の記憶の保持であるが、顕在意識が感じたり、外界から取り入れた知識や思考、自己が学習、経験したこと、などは勿論のこと、祖先から受け継がれた記憶まで、潜在意識が貯蔵しているのである。人がおもったり考えたりするとき、顕在意識でそうしているかのようにおもえるかもしれないが、実は潜在意識に貯蔵されている経験や知識などを取り出して、それを元にしたり、それで補充したりして、考えたり思考を組み立てているのである。

普段マイナスの、消極的な生き方をしていたらどうなるか、考えてみよう。マイナスの考え方をし、マイナスの言葉を吐いてばかりいると、それらの観念が顕在意識から潜在意識に入り込み蓄積貯蔵される。要するに潜在意識の貯蔵庫はマイナスの観念で充満することになる。人は物事を判断したり考えたりするとき、潜在意識の記憶の中からいろいろなものを取り出して思考するのだから、マイナス志向の人の考えは、プラスの積極的な方向にではなく、やはりマイナスに行くのは理の当然だろう。愚痴ばかり言っている人がよくいるが、この人の潜在意識は不平不満の観念で充満しているから、その泥沼の中であがいて抜けられない状態なのである。その人だけの問題にとどまっていれば自業自得で済まされるが、その人が意識しているいないにかかわらず、マイナスの思考、観念を周りにばら撒くから、周囲の人も影響を受けかねない。哲学をしっかり持っている人なら大丈夫だが、そうでないとマイナス志向に引き込まれる恐れがあるのである。

 話を元に戻そう。

 本稿の目的である願望、成功の実現についてである。

 このことも潜在意識が担っているということを知る人は少ないとおもわれる。潜在意識という言葉になじみがない人は勿論のこと、正しい知識や理解がない人は、何のことか見当もつかないに違いない。

 私は自己の過去を振り返ってみると、頭で考えたりおもったりした通りの人生を歩んできたことを確認するのである。

 教員になったこともそうだし、亡妻とは最後まで添い遂げると決めたことも、年を取ったら田舎に住みたいとおもったことも、そうなった。こうなろう、こうなる、とおもい描いたことは、例外なくそうなったのである。

――おもえばかなう

 というエッセイを書いたが、おもえば、それも強く、深くおもえば、それは顕在意識から潜在意識に入り、つまりそのおもいは顕在意識と潜在意識が共有することになり、潜在意識の方がそのおもいを叶えてくれるということなのである。

 分かりやすい成功例と失敗例を挙げてみると、平成十八年の夏、私は妻の元にに訪れていた介護ヘルパーに、やんちゃな子供の口調で、

――今エッセイを書いているんだけど、栃木県の文芸賞に応募するつもりです。一位というのは選考委員の好みの問題もあって、なかなか難しいけど、二位ならと、二位狙いなんですよ。書く前からこんなこと言うなんて、なかなかの自信でしょう、ハハハ

 と言ったものである。冗談口調ではあっても、内心ではほんとに二位か三位以内には入るという自信があったのだ。

 それから三ヶ月後、同じヘルパーに、やはり冗談めかして、

――いやあ、二位狙いだったのに、文芸賞貰っちゃいましたよ、つまり二位ではなく一位で当選しちゃったんですよ、スゴいでしょう、ハハハ

 ええっ、ほんとですか、それはスゴいわ、おめでとうございます、と驚くヘルパーに、私は内心細く笑み、得意満面だったものである。

 これはどういうことかというと、私は栃木県レベルなら上位に入るという自信があった。そのおもいはすんなりと潜在意識にはいったわけで、潜在意識はそのおもいをその通り叶えたのである。

 二年後、今度は小説を書く前から、

――エッセイと同じで、一位は運もありますからね、やはり二位狙いで応募します。もしかしたらもしかするかもしれませんよ、ハハハ

 やはり冗談めかして、何人ものヘルパーに吹聴したのだった。このときも、一位にならなくとも、上位に入るという自信は持っていた。そして、

――いやあ、奇跡が起こりましたよ、小説も貰いました。やっぱり一位で当選でした、ウフ、ウフ

 私は嬉しそうな素振りをしたが、実はそれほど悦んだわけではなかった。自分には当然それぐらいの実力はあるとおもっていたからである。

 若い頃からいろいろな賞に応募し、栃木県の文芸賞よりは少し上位に当たる全国公募の大阪堺市主催の自由都市文学賞には佳作として入選、やはり全国公募の北海道文学賞には入選は逸したが候補に挙げられた。

 その他当時目指していたのは、文芸春秋社の「文学界」の同人雑誌評のベスト5に選ばれることだったのだが、二回ベスト1に選ばれた。そうした実績から、栃木県レベルならと自信があったから、執筆前から宣言しその通りになったのである。

 その頃は潜在意識ということは特に意識していなかったが、振り返ってみるとやはり潜在意識を無意識的に使っていたのだ、ということが今にして分かる。

 では、失敗例を――

 潜在意識という言葉は知っていたが、正しく理解をしていなかったので、努力はしていたが、潜在意識を使おうという気持ちがなく、目標に向かっていた。だから、全国公募の新人賞にいくつか応募したものの、二次予選の三十人に残ったのが最高だった。これは、二番手、三番手ぐらいは通るが、一番手は無理だろう、とおもっていたので、その否定的なおもいが潜在意識に入ってしまい、しかも深くはいってしまったので、潜在意識はその否定的なおもいを叶えたのだ。潜在意識は肯定的であろうが否定的であろうが、その考えやおもい、願望を叶えるという厳粛な力を持っているのである。

 だから、疑いや否定や不安を抱いてはいけないのだ。願望に疑いや否定や不安を抱けば、潜在意識はそのようにおもいを叶えてしまうからである。

 というように、少なくとも私の場合は、こうありたい、こうなりたいというおもい(願望)はことごとく叶えられ、そうなったということが分かる。これは私の潜在意識の力なのだが、どうしてそうなるかとというと、個々人の潜在意識は宇宙と密接に繋がっていて、潜在意識を通して宇宙がそうするからなのである。宇宙が私のおもい(願望)を叶えてくれるということなのだ。

 そういわれてもそんなこと信じられないというむきがあるかもしれないが、実際に、現実にそうなのであり、これは頭で考えて、理屈で分かることではなく、そうなのだと納得、悟る他はないことなのだ。一旦そうなんだと受け入れ、自覚してから、自己の過去や周りのあれこれを検討してみるといいかもしれない。そうすると、その通りだということが確認できるとおもう。

 ということで、健康、運命、願望をよくする、つまり個々人の人生をより豊かに生きるためには、潜在意識をよく理解して、上手に使う必要があるということが分かっていただけたろう。

 では、潜在意識を上手に使うには具体的にどうしたらいいのか。

 その幾つかの方法を挙げてみたい。

 まずは、おもうことである。できるだけ明確に、目標を設定することである。そして、その願望が潜在意識に入り、刻み込まれるように、自分で自分に暗示をかけるのだ。

 暗示とは、辞書によると、「言葉や合図などにより、他者の思考、感覚、行動を操作・誘導する心理作用のことをいう。」とあるが、これを自分に対して自分でやるのである。これを誘導自己暗示という。

 私の場合はマイナーな文学賞は取れたが、メジャーな文学賞は取れなかった。そこで、メジャーな文学賞めざして、

 夜、床に就いて眠るまでの間、「○○文学賞を受賞する」と小さく口に出して言う。そして、受賞したときの嬉しさをおもい描き、人から賞賛されてい様子を想像する。このことを繰り返す。私の場合は、20回繰り返してから眠ることにしている。そして、次の日の朝目覚めたら、「○○文学賞を受賞した」と口に出して言い、歓びと満足感に浸る。どうして寝際や目覚めのとき行うかというと、脳が活動停止し始めたり、脳が働き始める前は、潜在意識にそうした内容が入りやすく、つまり誘導自己暗示がかかりやすいからである。

 ○○文学賞受賞と書いたカードを作り、パソコンのそばに貼っておき、パソコンに向かうたび、それを小声で読む。私は日に五、六度はパソコンの前に座るのだ。

 パソコンのそばの壁に鏡が備え付けてあるのだが、パソコンに向かう前に鏡の中の自分の眉間に視線をあてながら、お前は信念が強い、○○文学賞を受賞する、と声にだして言う。

 私はこの三つのことを日々実践している。

 繰り返して念じることは有効なのだが、書くことも、それを読むこともより有効なのである。鏡を使う方法はフランスで盛んに行われているという。これもとても有効といわれている。

(参考文献)中村天風「成功の実現」「真人生の探求」 エミール・クーエ「自己暗示」 C・M・ブリストル「信念の魔術」 斎藤一人「絶対成功する千回の法則」 

  

2018年01月16日